朝の仕事部屋に入ったとき、かすかにこもった空気の匂いに気づくことがある。昨日閉めたままの窓。止まったままの空気。少しだけ温度がこもっていて、声を出す前の喉のように、どこか曇っている。
換気しなきゃ、と思う。
けれど手はマウスに伸びてしまう。ちょっとだけ……のつもりで画面を開くと、そのまま数時間が経ってしまうこともある。気づけば昼。空気も思考も、よどんだまま。
それでいて、ふいに換気をしたときの変化には、いつも驚く。
窓を開けて、風が入り、カーテンがゆっくりと揺れる。部屋の中の空気が、ぬるい水から新しい川の流れに変わるように、すーっと動き出す。
その瞬間、さっきまで重く感じていたタスクにも、なぜかちょっとだけ向き合える気持ちになるから不思議だ。
空気の入れ替えは、思考の入れ替えにもなる。
やるべきことが多すぎて整理できないときほど、換気のひと手間が、頭の中に余白を作ってくれる。ほんの数分で終わる行動なのに、それが自分の集中力を支えていることに、最近ようやく気づいた。
そもそも「換気」という言葉は、なんだか少し控えめな響きがある。
掃除や整理整頓のように、目に見えて劇的に変わるものではない。けれど、日常の中でじわじわと効いてくるものの代表格だと思う。
水が透明であるように、空気が澄んでいることには、意識を向けづらい。けれど、澱んだときにだけわかる。ああ、入れ替えるって、大事だな、と。
そして、換気のたびに思い出すのは、子どものころの夏休みの記憶だ。
朝からテレビゲームに夢中になっていると、母がふいに窓を開けて、「ちょっと空気、入れ替えよか」と言ってくる。外の熱気がぶわっと部屋に入り、せっかく冷えた空気が逃げていくのが、子ども心には少し不満だった。
けれどいま、あの「空気を入れ替えるよ」が、家の中の時間を整える一種のリセットだったのだとわかる。何かが変わるわけじゃない。けれど、それが区切りになる。
仕事部屋の空気を入れ替えるという行為も、きっとそれに似ている。
大げさな意味づけは必要ない。ただ、こもった時間に一度、風を通す。
そうすると、部屋も頭も、少しだけ前を向ける気がする。