エアコンが壊れたのは、7月の終わりだった。
午後3時、部屋の温度はすでに32度を超えていて、いつも通りリモコンを押したのに、ぴくりとも動かない。正確には、室内機のランプは点いた。でも、風が出ない。いつまで経っても、何も冷えない。
外に出てみると、室外機が動いていなかった。音がしない。表面に触れると、熱がこもっているのがわかった。
修理業者に来てもらうまでに、3日かかった。
「この時期、室外機の故障、めちゃくちゃ多いんですよ」と、作業着の人が言った。
熱波の影響で、放熱しきれずに停止するケースが増えているのだという。とくに40度を超える日が続くと、地面の照り返しも加わって、室外機の周辺は想像以上に過酷な温度になるらしい。
「43度とかになると、限界ですね。人間と同じで、動けなくなります」
その言い回しが、やけに印象に残った。
そういえばこれまで、室外機のことなんて、ほとんど気にしたことがなかった。エアコンの効き具合に不満を覚えても、真っ先に疑うのはリモコンや室内機のほうで、外に置かれた金属の箱については、何かを工夫しようとすら思わなかった。
業者さんに言われて、室外機の周りに置いていた植木鉢を少しだけ移動させた。
空気の流れを遮っていた可能性があると言われて、少し驚いた。直射日光を防ぐために、簡易的な日よけも設置してみた。効果のほどはわからないけれど、「なにもしないよりは」という気持ちだけでも、見方が変わる。
この夏になってようやく、ベランダの温度のことを真剣に考えるようになった。
そこに熱がこもっていること、熱が逃げにくいこと、風が滞っていること――今まではなんとなく目に入っても、意識には残っていなかった。
私たちはエアコンに頼らずには暮らしにくくなっていて、それを支える仕組みには、目が向きにくい部分も多い。
壊れて初めて気づくことがある――というのは、よくある話だ。でも、気づいたあとにどうするかは、少しずつでも選べる気がする。
今年は、早朝と夕方にベランダに水をまくようになった。
それだけで気温が劇的に下がるわけではないけれど、あの場所の熱が少しでも和らげば、という気持ちはある。
そう思いながら、今日もじょうろに水を入れて、静かにまいている。