野暮と野暮ったい

先日、ちょっとした雑談の場面で「野暮なこと言うなよ」というおなじみの言い回しを、ある人が「野暮ったいこと言うなよ」と口にしたのを耳にした。意味は通じるのだけれど、なんだか引っかかった。あれ、野暮と野暮ったいって、同じようでいて少し違うのでは……? そう思ったものの、その場で口に出すのは、それこそ野暮にあたる気がして黙ってやりすごした。

帰ってから調べてみると、やはり違いがある。「野暮」は空気を壊す、気の利かないふるまいを指すことが多い。一方で「野暮ったい」は、外見や雰囲気が垢抜けないことを表すときに使われやすい。服装や髪型など「見た目のダサさ」に寄った言葉だ。だから「野暮なこと言うなよ」は成立しても、「野暮ったいこと言うなよ」になると、ちょっと噛み合わない。まるで「ダサいこと言うなよ」と言っているみたいになる。

こういう微妙な言葉の使い分けは、他にもある。たとえば「みすぼらしい」と「貧乏くさい」。どちらも似た場面で使えそうだが、前者はどこか客観的で小説に出てきそうな言葉、後者は日常会話の口ぶりに近い。あるいは「うさんくさい」と「怪しい」。意味はほとんど同じなのに、前者にはどこか笑いを含んだ軽さがある。

会話の中で、厳密な使い分けを気にしすぎるのは不毛だろう。多少のズレは勢いで飲み込まれてしまうし、場が回っているならそれで十分だ。ただ、一度耳にひっかかってしまうと、つい頭の片隅で転がし続けてしまうのは、言葉好きの性分というものかもしれない。

あのとき「野暮ったいこと言うなよ」と言った人も、きっと「野暮」と「野暮ったい」の境目を真剣に考えて口にしたわけではないだろう。会話の流れで出た言葉に過ぎない。むしろその即興性こそが、言葉の面白さでもある。正しさより、耳にした瞬間のひっかかりやニュアンス。そういうものに気づけると、会話をスルーしながらも、ちょっと得をしたような気分になる。