昼にちょっとだけ自転車で出かけた。ほんの15分。近所の文具店に封筒を買いに行っただけなのに、帰ってきたら腕が真っ赤になっていた。
肌が焼けている。ひりひりする。日差しに負けた、と思う。
これまで夏の陽射しにそれなりに慣れてきたつもりでいた。炎天下のプールや部活、通学路の照り返し。そういう「夏」はもうとっくに通り過ぎてきたのに、今さらこんなに焼けるなんて、少し驚いた。
翌日、アームカバーを検索した。男性用、UVカット、冷感。いろんなタグをつけて調べながら、でもどこかで「いやいや」と思っている自分がいる。「アームカバーなんて、ちょっとやりすぎじゃないか」「日傘男子が許される時代でも、これはまだ早いんじゃないか」と。
たしかに、街中でそれを着けている人をあまり見かけない。特に男性では。だから、見た目がどうこうというより、「誰もやっていない」ことの抵抗感がある。でも、昔は日傘だってそうだった。
思い返すと、あの頃は「男だから」「女だから」という分類が、今よりずっと当たり前のように日常に溶け込んでいた気がする。
何を使うか、どう振る舞うかに、無言のラインがあった。誰が決めたわけでもないけれど、それを越えるのはちょっとだけ勇気がいった。
でも、ここ数年の日差しは、もはやそういうちいさな躊躇に構ってはいられないほどに強く、容赦がない。紫外線の強さは年々上がっているらしい。季節は「夏」ではなく「灼熱期」になりつつあるのだという。
それでも、恥ずかしさがほんの少しだけ勝ってしまう。けれど、また出かけるときには、同じように日焼けをして帰ってきて、また同じことを思うのだろう。
「着けておけばよかった」と。
たぶん近いうちに、試しにひとつ買ってみると思う。黒のシンプルなやつ。見た目はどうでもいい。涼しくて、肌を守れればそれでいい。誰かに何か言われたとしても、きっとすぐに慣れる。
こうして少しずつ、昔の「当たり前」は書き換えられていくんだろう。季節が変わるように、常識も変わる。変えるのはきっと、ひとりひとりのちいさな選択だ。
腕のひりひりはまだ残っている。今度は忘れずに、ちゃんと覆って出かけようと思う。