スーパーでふと、お菓子コーナーに足を止めた。
棚には色とりどりのパッケージが並び、期間限定の味や、ちょっと贅沢そうな小袋が目を引く。昔はよく買っていた。ポテトチップスとか、チョコレートとか。買い物の最後に、なんとなくカゴに放り込むのが癖になっていた。
でも最近は、その手が止まる。
「150円か……」
そう思って立ち去ることが増えた。たった150円。けれどこの150円、なんだか別の使い方をしたほうが満足感が大きい気がする。
たとえば、夕食の肉をちょっとだけいいものにするとか。
普段は安売りの鶏むね肉か豚こまだけど、そこに150円足すだけで、質のいい国産の牛切り落としに手が届く。脂の入り方も、焼いたときの香りもまったく違う。
同じような手間で、食べたあとの充足感がぐっと変わる。
お菓子が嫌いになったわけじゃない。ただ、満たされ方が変わったのだと思う。
昔は「ちょっとつまみたい」とか「なんか食べたい」という気持ちにすぐ応えてくれるのが、お菓子だった。手軽で、味がはっきりしていて、頭が疲れているときには特にありがたかった。
けれど今は、その一時の満足感よりも、全体として「いい食事だった」と思える晩ごはんのほうが、体にもしっくりくる。そういう感覚になってきた。
外食でも同じようなことを感じる。500円の定食より、650円の定食のほうが、だいたいすべてがちょっとずつ丁寧で、結果として満足感が長持ちする。
この“ちょっとの差”が、歳を重ねるとともに、どんどん重要になってくる。量より質、というとありきたりだけれど、ほんとうにそう思うようになった。
お菓子を食べる頻度が減ったことで、なんとなく家の台所も、冷蔵庫も落ち着いてきた。食べものの買い方が整ってきたのかもしれない。
たまに、ものすごく久しぶりにポテトチップスを食べることがある。するとそれはそれでおいしい。でも「ああ、これで150円か」とも思う。そのあと、次はしばらくいいかな、という気持ちになる。
お菓子のかわりに、ちょっといい肉を買う。
その選択が自然になったいま、たぶん私は前よりも、自分の食欲といい距離で付き合えている。