映像サブスクに慣れて、読書が遠のいた

映画やドラマのサブスクに慣れてしまったせいで、小説の価格を割高に感じるようになった。
文庫でさえ2冊も買えば1か月分のサブスク料金を超えるし、単行本なら1冊で余裕で上回る。かつては「小説一冊に千円ちょっとなら安いものだ」と思っていたのに、今は「それで映像作品が100本観られるのに」と考えてしまう。頭でそう思ってしまった瞬間、以前のように気軽にレジへ持っていくことができなくなった。

デスクワーク中にドラマを“ながら見”できるのも大きい。仕事しながら流しても邪魔にならない作品も多く、気づけば1日で10話くらい観ていることもある。そうなると1か月に100本近く観ている可能性もあるわけで、「費用対時間」という単純な比較では、小説が勝てるはずもない。映像コンテンツが異様に安く感じてしまうのは、そのせいだろう。

もちろん電子書籍のサブスクもあるにはある。けれど、どうしても「違う」と感じてしまう。自分にとって不要なジャンルが多すぎるし、好きな作家で探してもラインナップに入っていないことが多い。見つからない→がっかりする→別の作家を探す、の繰り返しが地味にストレスになる。気づけば「本来読むつもりのなかった本を、なんとか元を取るために消化している」みたいな状態になってしまって、これもまた小説から距離を置く理由になってしまった。

振り返れば、ミステリ小説に夢中になっていたころは、数百ページを一気に読み進めて夜更かしすることすら楽しかった。結末までの道のりを自分のペースで辿っていくあの感覚は、映像作品にはないものだ。サブスクで「次のエピソードを自動再生」してくれる便利さに慣れてしまった今、あの“ページをめくる手を止められない夜”をすっかり忘れている。

だからといって、小説を嫌いになったわけではない。むしろ好きなままだからこそ、読めなくなった現実とのギャップに小さな寂しさがある。映像サブスクのコスパに慣れてしまった自分と、作家にきちんとお金を払いたい気持ち。そのあいだで揺れている。

今のところ、その距離は縮まりそうにない。けれど、本棚の一角に眠るお気に入りの作家の本を見ると、かつての熱量を思い出すこともある。再びページをめくる日が来るのかどうか、自分でもまだわからない。